012.神武の東征

ヤタガラスに導かれた初代天皇

ホオリ命と卜∃クマヒメの問に生まれたウガヤフキア工ズ命(鵜葺華葺不合命)は、後に叔母にあたるタマヨリヒメ(玉依毘売)を妻とし、4人の子をもうけた。その末子のカムヤマトイワレヒコ命(神倭伊波礼畏古命)こそが、後の日本にとって大きな働きをする神武天皇である。
『日本書紀』 によれば、カムヤマトイワレヒコは「生まれつき明達(賢く)、御心確知(気性がしっかりしている)」であり、15歳で太子となり、アヒラヒメ(阿比良比売)と結婚してタギシミミ命(多芸志実美命)をもうけたという。
彼の最も偉大な事業であった東征の経緯は、次のようなものだ。
- カムヤマトイフレヒコはアマテラス大神の神勅に従い、日向・高千穂の宮殿で葦原中国の統治に務めてきた。45歳のとき、彼は兄のイッセ命(五瀬命)と協議のうえ、天下を平安に治めるのにふさわしい新たな場所を求めて、乗へ向かうことにした。
豊国(大分県)から安芸国(広島県)、吉備国(岡山県)を経由した一行は、途中から海路を行き、しろかたつ白肩津(現東大阪市) に船を着けた。
だが、そこには強敵のナガスネヒコ (長髄彦)が待ちかまえていた。戦いの末にイッセが重傷を負ったため、一行は白肩津を離れ、紀伊国に向かった。そして、この地でイッセは死んだ。
やがて一行が熊野(一二重県)に着くと、そこにはアマテラスが下された剣と、タカ三ムスビ神に遣わされた道案内のヤタガラス (ハ爬烏)が待っていた。ヤタガラスに導かれ、兄弟の豪族を倒すなどの戦いを経て、カムヤマトイワレヒコ一行は登美(奈良県)に到着した。そこで彼は、兄イッセの仇ナガスネヒコと遭遇したのである。そして、どこからか飛んできた金色のトビに助けられながら、この強敵を倒したのだ。
こうして苦難を重ねつつ、カムヤマトイワレヒコはやっと見つけた、天下を治めるのにふさわしい国、大和(奈良県)を制圧・平定した。そして、橿原に新たな宮殿を築いて、初代神武天白王として即位したのである。
天皇の世はここから始まり、葦原中国も秋津洲(日本の古名)と呼ばれるようになった。
神武天皇はその後、オオモノヌシ神(大物主神)の娘ヒメタタライスケリヨリヒメ (比売多多良伊須気余理比売)を皇后に迎えて3子をもうけた。
その末子が第2代綜靖天皇となる。
神武天皇は在位76年、137歳(『日本書紀』では127歳) で崩御し、その御陵は奈良盆地の畝傍山東北とされている。