006.母神の怒りで荒れ果てる大地

ベルセフォネの誘拐

うららかなシシリア島の野原で、美しい娘ベルセフォネは侍女たちと花を摘んでいた。そのとき、急に大地がまっぶたつに割れ、割れ目から猛々しい黒馬が引く戦車が躍り出た。
戦車を操る男はすばやくベルセフォネを抱え入れると、戦車の向きを変え、割れ目の中に姿を消した。その直後、大地は元のようにぴったりと閉じたのだった。
ベルセフォネは、豊餞の女神デメテルと大神ゼウス姉弟の間に生まれた娘。男もまたデメテルの弟で、冥府の王ハデスだ。実はこの誘拐劇には裏があった。あるときベルセフォネの噂を聞いたハデスは、ゼウスに嫁にしたいと申し入れた。
「わしはかまわないが、母親が許すかどうか。溺愛して育ててきたからな」
「それなら、腕ずくで嫁にするまでよ」
自分と違い女性に緑のないハデスを哀れんでいたゼウスは、この暴挙を黙認したのである。
何も知らないデメテルは娘がいなくなったことを知ると、すぐに松明(たいまつ)に火をつけて娘を探しに出かけた。だが、彼女が9日9晩にわたって地上のすみずみまで探しまわっても見つからない。その悲痛な嘆きに同情したのが、太陽神ヘリオスだった。彼はただひとり真実を見聞きしていたのだ。
「実はハデス様に誘拐されたのです。娘さんを伴侶にしたいと望んだハデス様はゼウス様に申し入れた後、冥府に連れ去ったのです」
デメテルの怒りは尋常ではなかった。彼女は人間に命じて自らの神殿を遣らせ、そこに引きこもってしまった。豊鏡の女神がこの状態のため、木は実をつけず、穀物は芽をふかず、大地は荒れ果てていった。ゼウスはあせった。
「これでは、すべての生き物が死んでしまう」
ゼウスはハデスにベルセフォネを母親のところに返すように命じる。ハデスはしかたなくそれに応じたが、腹の中では策略をめぐらしていた。地上に帰る前に食べるよう、ベルセフォネにザクロを渡したのである。彼女はそれを4粒口にしてし
まった。実は冥府の食べ物を口にした者は、そこの住人とならねばならない決まりがあったのだ。これでもうベルセフォネは、母のもとに戻れない。困りはてたゼウスは苦肉の策を講じた。
「ベルセフォネは食べたザクロの実の数、つまり1年のうちの4か月だけ冥府にとどまり、残りは地上で暮らすことにしよう」
こうして地上は、ベルセフォネがいる間は豊かだが、冥府に下る4か月間は冬となるのである。