007.アイルランドを代表する戦士

狂気と悲劇の英雄クー・フーリン

望の前ぞ力を誇示する少年

ダーナ神族が地下に引きこもり、ミレー族がアイルランドを統治していたころ、アイルランドにひとりの英雄が誕生した。それがクー・フーリンである。太陽神ルーと人間の女性の間に生まれた半神半人の彼は、金髪にたくましい体、美貌、快活な性格と、多くの人から愛される要素を兼ね備えていた。だが、ひとたび戦場に赴くと、まるで狂気がとりついたかのように荒々しく変貌し、敵をなぎ倒すのである……。
ちなみにクー・プーリンとは「クランの猟犬」という意味のあだ名である。幼いころ、誤って鍛冶師クランの番犬を殺してしまい、自分が代わり
になると誓ったことから、こう呼ばれるようになったのだ。本名はセタンタという。
クー・フーリンはアルスクー王国に属する赤枝の騎士団の一員だった。彼が王の騎士となった背景には、次のようないきさつがある。
少年だったクー・フーリンは、ひとりのドルイドから次のような予言を聞かされる。
「今日、騎士になる者はアイルランドに長く伝えられる英雄になるが、その生涯は短いものとなるだろう」 これを聞いたクー・フーリンは即座に王の元へ向かった。だが、王は彼が著すぎるのを理由に、騎士にすることをためらった。すると、クー・フーリンは槍をへし折り、剣を曲げ、戦車を踏み壊して、己の力を誇示したのである。王はあきらめて彼が騎士となるのを許し、その怪力にも耐えられる剣と戦車を贈ったという。

クーリーの牛争い

このころ、彼は美少女工メルに恋をし、
求婚した。だが、著すぎることを理由に断られたため「影の国」を訪れ、女王スカサハのもとで武術の修行に励む。このときの修行仲間のひとりであるコナハト王国のフ工ルディアとは、その後、親友となる。
修行を終えたクー・フーリンは、多くの
修行仲間の中からただひとり、奥義の印としてゲイ・ボルクと呼ばれる槍を授かった。これは投げれば30の矢尻となって相手に降り注ぎ、突けば30の瀬となって破裂するという魔槍である。
地上に戻ったク1‥フーリンは、なおも結婚に反対する工メルの父と戦ってこれを倒し、首尾よ
く花嫁を手に入れたのである。
さて、クー・フーリンが超人的な活躍をしたことで知られるエピソードといえば、アルスター王国とコナハト連合軍の戦いである「クーリーの牛争い」があげられる。この戦いは、コナハト王国の女王メイヴと夫のアリル王の財産自慢が発端となった。メイヴはアリルの持つ白い雄牛に匹敵する財産を持たなかったため、アルスタ1の赤い雄牛を手に入れることを名目に、戦争を仕掛けてきたのだ。しかも、メイヴはアリルランドの他の3国と連合軍を組織した。
ところが、メイヴの侵略が始まったとき、アルスタ一軍で動けるのは、当時17歳のクー・フーリンだけであった。というのも、兵士たちは戦争の神マッハの呪いで病に倒れていたのだ。
彼はメイヴの軍隊を相手に、ただひとりでハ面六胃の戦いを見せた。しかし、この戦争は彼の心に大きな傷を残した。
スカサハのもとで修行した際に親友となったフェルディアの命を、自らの手で奪うことになったのだ。
彼の心を傷つけたのは、そ
れだけではなかった。親友の死後も不眠不休で戦いつづけた彼は、父であるルーの助けでわずかな時間、休息をとった。その間にさらなる悲劇が起きたのである。
なんと、マッハの呪いを受けなかったアルスターの少年兵たちが、メイヴの軍勢に挑み、全滅させられてしまったのだ。
クー・フーリンは怒りのあまり逆上し、その要は異形のものへと変わった。筋肉がふくれあがり、髪の毛は逆立ち、片目が頭にめり込んだかと思うと、もうひとつの目は頬から突き出るほどに飛び出した。口は大きく裂け、クー・フーリンは文字どおり怪物と化したのである。
こうして、彼の周囲にはコナハト連合軍の兵士たちの死体が山となって積まれていった。そして、呪いがとけたアルスタ-軍が戦列に復帰すると、戦況は一気にメイヴに不利となった。
やがて連合軍は解体し、コナハトはアルスターと和睦、戦争の元凶であったメイヴもクー・フーリンによって命を助けられる。だが、これが後の悲劇へとつながってしまうのだ。

若き英雄の最期

アルスタ1王国に勝利をもたらしたクー・フーリンだったが、メイヴは彼に復讐するため、再び連合軍を組織した。そして、またもマッハの呪いでアルスターの兵士たちが病に倒れたときを狙い、侵攻を開始した。今回もクー・フーリンはひとりで戦うことになったのである。
だが、彼は出陣前に不吉な前兆に遭遇していた。
愛馬は戦場に出ることを嫌がり、手にした杯のワインは血に変わった。しかも彼は、自分の血にまみれた鎧を洗う「浅瀬の洗い手」を目撃してしまうのだ。
このとき、クー・フーリンは己の命運が尽きたことを悟ったのである。予感は的中し、彼の死期
は目前に迫っていた。
戦場でメイヴの策略に引っかかったクー・フーリンは、魔槍ゲイ・ボルグを奪われた。そして、敵の手に渡ったそれは、彼の脇腹を貢いたのである。致命的なその傷口からは、はらわたが飛び散った。だが、瀕死の状態にありながらも、クー・フーリンははらわたをかき集め、湖に赴いた。そして、血と泥にまみれたはらわたをきれいに洗って、再び体内に戻したのである。
彼は横になって死ぬより、戦士らしく立ったまま死ぬことを望んだ。近くに石柱を見つけたクー・フーリンは、自分の体をその石柱に結びつけた。
彼が立ったまま息をひきとると、石柱には英雄の死を告げるかのように、ひびが入ったという。
「今日、騎士になる者はアイルランドに長く伝えられる英雄になるが、その生涯は短いものとなるだろう」
ドルイドの予言は成就してしまったのだ。