007.アイルランドを代表する戦士

狂気と悲劇の英雄クー・フーリン

望の前ぞ力を誇示する少年

ダーナ神族が地下に引きこもり、ミレー族がアイルランドを統治していたころ、アイルランドにひとりの英雄が誕生した。それがクー・フーリンである。太陽神ルーと人間の女性の間に生まれた半神半人の彼は、金髪にたくましい体、美貌、快活な性格と、多くの人から愛される要素を兼ね備えていた。だが、ひとたび戦場に赴くと、まるで狂気がとりついたかのように荒々しく変貌し、敵をなぎ倒すのである……。
ちなみにクー・プーリンとは「クランの猟犬」という意味のあだ名である。幼いころ、誤って鍛冶師クランの番犬を殺してしまい、自分が代わり
になると誓ったことから、こう呼ばれるようになったのだ。本名はセタンタという。
クー・フーリンはアルスクー王国に属する赤枝の騎士団の一員だった。彼が王の騎士となった背景には、次のようないきさつがある。
少年だったクー・フーリンは、ひとりのドルイドから次のような予言を聞かされる。
「今日、騎士になる者はアイルランドに長く伝えられる英雄になるが、その生涯は短いものとなるだろう」 これを聞いたクー・フーリンは即座に王の元へ向かった。だが、王は彼が著すぎるのを理由に、騎士にすることをためらった。すると、クー・フーリンは槍をへし折り、剣を曲げ、戦車を踏み壊して、己の力を誇示したのである。王はあきらめて彼が騎士となるのを許し、その怪力にも耐えられる剣と戦車を贈ったという。

クーリーの牛争い

このころ、彼は美少女工メルに恋をし、
求婚した。だが、著すぎることを理由に断られたため「影の国」を訪れ、女王スカサハのもとで武術の修行に励む。このときの修行仲間のひとりであるコナハト王国のフ工ルディアとは、その後、親友となる。
修行を終えたクー・フーリンは、多くの
修行仲間の中からただひとり、奥義の印としてゲイ・ボルクと呼ばれる槍を授かった。これは投げれば30の矢尻となって相手に降り注ぎ、突けば30の瀬となって破裂するという魔槍である。
地上に戻ったク1‥フーリンは、なおも結婚に反対する工メルの父と戦ってこれを倒し、首尾よ
く花嫁を手に入れたのである。
さて、クー・フーリンが超人的な活躍をしたことで知られるエピソードといえば、アルスター王国とコナハト連合軍の戦いである「クーリーの牛争い」があげられる。この戦いは、コナハト王国の女王メイヴと夫のアリル王の財産自慢が発端となった。メイヴはアリルの持つ白い雄牛に匹敵する財産を持たなかったため、アルスタ1の赤い雄牛を手に入れることを名目に、戦争を仕掛けてきたのだ。しかも、メイヴはアリルランドの他の3国と連合軍を組織した。
ところが、メイヴの侵略が始まったとき、アルスタ一軍で動けるのは、当時17歳のクー・フーリンだけであった。というのも、兵士たちは戦争の神マッハの呪いで病に倒れていたのだ。
彼はメイヴの軍隊を相手に、ただひとりでハ面六胃の戦いを見せた。しかし、この戦争は彼の心に大きな傷を残した。
スカサハのもとで修行した際に親友となったフェルディアの命を、自らの手で奪うことになったのだ。
彼の心を傷つけたのは、そ
れだけではなかった。親友の死後も不眠不休で戦いつづけた彼は、父であるルーの助けでわずかな時間、休息をとった。その間にさらなる悲劇が起きたのである。
なんと、マッハの呪いを受けなかったアルスターの少年兵たちが、メイヴの軍勢に挑み、全滅させられてしまったのだ。
クー・フーリンは怒りのあまり逆上し、その要は異形のものへと変わった。筋肉がふくれあがり、髪の毛は逆立ち、片目が頭にめり込んだかと思うと、もうひとつの目は頬から突き出るほどに飛び出した。口は大きく裂け、クー・フーリンは文字どおり怪物と化したのである。
こうして、彼の周囲にはコナハト連合軍の兵士たちの死体が山となって積まれていった。そして、呪いがとけたアルスタ-軍が戦列に復帰すると、戦況は一気にメイヴに不利となった。
やがて連合軍は解体し、コナハトはアルスターと和睦、戦争の元凶であったメイヴもクー・フーリンによって命を助けられる。だが、これが後の悲劇へとつながってしまうのだ。

若き英雄の最期

アルスタ1王国に勝利をもたらしたクー・フーリンだったが、メイヴは彼に復讐するため、再び連合軍を組織した。そして、またもマッハの呪いでアルスターの兵士たちが病に倒れたときを狙い、侵攻を開始した。今回もクー・フーリンはひとりで戦うことになったのである。
だが、彼は出陣前に不吉な前兆に遭遇していた。
愛馬は戦場に出ることを嫌がり、手にした杯のワインは血に変わった。しかも彼は、自分の血にまみれた鎧を洗う「浅瀬の洗い手」を目撃してしまうのだ。
このとき、クー・フーリンは己の命運が尽きたことを悟ったのである。予感は的中し、彼の死期
は目前に迫っていた。
戦場でメイヴの策略に引っかかったクー・フーリンは、魔槍ゲイ・ボルグを奪われた。そして、敵の手に渡ったそれは、彼の脇腹を貢いたのである。致命的なその傷口からは、はらわたが飛び散った。だが、瀕死の状態にありながらも、クー・フーリンははらわたをかき集め、湖に赴いた。そして、血と泥にまみれたはらわたをきれいに洗って、再び体内に戻したのである。
彼は横になって死ぬより、戦士らしく立ったまま死ぬことを望んだ。近くに石柱を見つけたクー・フーリンは、自分の体をその石柱に結びつけた。
彼が立ったまま息をひきとると、石柱には英雄の死を告げるかのように、ひびが入ったという。
「今日、騎士になる者はアイルランドに長く伝えられる英雄になるが、その生涯は短いものとなるだろう」
ドルイドの予言は成就してしまったのだ。

 

006.転生をくり返した美女

蝶になったエーデイン

ミレー族によって地上を追われたターナ神族が、地下世界で暮らしていたころの話である。
一族の最高神タグザの恵子ミディールは、あるときアイルランドで最も美しい少女エーディンを妻に迎えた。ところがエーディンは、そのあまりの美しさに嫉妬したミディールの最初の妻フォーヴナハにドルイドの魔法をかけられ、水たまりに変えられてしまったのである。
水たまりはやがて蒸発し、そこから生まれた毛虫は紫色の美しい蝶に変わった。この蝶がエーデインだと知ったミディールは、以前と変わらぬ愛を捧げたのである。
だが、これが気に入らないフォーヴナハは、魔法の力で竜巻を起こし、エーディンを彼方に吹き
飛ばしてしまった。そして、エーディンはその後7年間にわたって、ひとり荒野をさまようはめに陥ったのだ。
あるとき、エーディンは愛の神オェンクスの王宮にたどりついた。そして夜だけ元の姿に戻ることができたエーディンは、オェンクスに守られ、彼との恋を楽しみ、穏やかな生活を送っていた。
だがそんな生活は、またしてもフォーヴナハに邪魔をされた。
再び吹き飛ばされたエーディンは、人間の女性が持つ杯の中に落ち、酒とともに飲み干されてしまう。そして、今度はその女性の娘として生まれてきたのである。しかし、転生した彼女には前世の記憶は失われていた。なんといっても、この間、1012年の年月が経過していたのである。美しく成長したエーディンは、アイルランド王工オホズ・アイレヴの妻となった。
ある日、エーディンの前にミディールが現れた。
ミディールから自分が彼の妻であったことを告げ
られたが、彼女にはその記憶はまったくなかった。
業を煮やしたミディールは、強引に彼女を自分の宮殿に連れ帰ってしまう。
この仕打ちに腹を立てたエオホズ王は、エーディンを奪い返すべく、アイルランドにある妖精の丘をかたっぽしから壊し、ついにミディールの宮殿がある最後の丘だけが残った。追いつめられたミディールは、魔法で50人の侍女をエーディンに変え、その中に本物のエーディンをまぎれ込ませたうえで、エオホズ王に告げた。
「この中から本物のエーディンを選べたら、彼女を帰してやろう」 だが、エーディンはエオホズ王が選ぶ前に、「私がエーディンです」 と自ら名乗り出たのである。彼女は神より人間の王を選んだのだ。エオホズ王の宮殿に帰ったふたりはその後、幸せに暮らし、ふたりの問には娘が生まれたという。

005.後妻の嫉妬に苦しめられて……

白鳥になった海神の子どもたち

前述のように、かつてターナ神族はアイルランドを統治していた。しかしミレー族に敗れ、地下世界へと追いやられてしまった。この世界で新たな王国を築き、新たな生活を営みはじめた一族は、タグザの次の王に彼の息子である戦いの神ボォヴを選んだ。ボォヴは徳の高い人格者として知られ、まさしく適任であった。
だが、海の神リルはこの決定に不満だった。自分こそが次の王に選出されると思っていたのである。思いどおりにならなかったことに腹を立て、リルは自らの宮殿に引きこもってしまった。彼のこの自分勝手な行動に他の神々は奴心った。そして彼を罰するために、その宮殿を焼き払ったのである。しかし、この攻撃はリルの妻の焼死という悲
劇を生んでしまった。
悲嘆にくれ、ますます引きこもるようになったリルを心配し、和解のためにボォヴは自分の3人の娘のうち、長女のイーヴをリルに嫁がせた。この結婚で、ふたりは男女2組の双子という4人の子どもをもうけたのである。
だがイーヴは2組目の双子を生んだときのお産が重く、この世を去ってしまった。そこでリルは、同じくボォヴの娘でイームリの妹イーファと再婚した。ところが彼女は、夫が先妻の残した子どもたちを愛していることに嫉妬し、ドルイドの杖で4人を白鳥に変えてしまったのだ。
それだけではない。イーファは4人が白鳥の姿のまま、3か所の海や湖でそれぞれ300年を過こさなければならないという呪いまでかけたのである。呪いは900年後、北の王子と南の王女が結婚するときとけるのだが、4人はそれまでの問、人間の姿に戻ることはできないのだった。
怒ったボォヴは娘を「空気の悪魔」に変えて罰を与えたが、ドルイドの呪いはターナ神族にはとくことはできなかった。そしてこの日以降、リルが愛しい子どもたちと会うことは、二度となかったのだ。
哀れな子どもたちはアイルランドの海や湖を300年ごとに移動し、その日の来るのを待った。
時は流れ、ドルイドの呪いがとける日がやってきた。北の王子と南の王女が結婚することになったのである。だが、やっとの思いで人間の姿に戻れた4人を、新たな悲劇が襲った。なんと一気に900年分も年老いてしまったのだ。当然、腰の曲がった白髪の老人となった彼らの体は、それだけの年月の重みに耐えることはできず、あっという間に死んでしまったのである。
悲しい運命に翻弄された子どもたちは、キリスト教の司祭によって、ひとつの墓に一緒に埋葬されたという。

004.カラスに変身して戦士を鼓舞

戦場に死を求める3人の女神

死の女神モリガン、勝利の女神ネヴァン、怒りの女神マッハの3人は、ケルト神話の戦いの女神である。この3人姉妹はひと絶となって、三位一体神と見なされることもある。
彼女たちは戦場にカラスなど鳥の姿に変身して現れる。そして、その姿と叫び声で戦士たちがさらに激しく戦うよう、より残虐な殺教をして多くの血を流すようにそそのかすという。
また、敵に対しては逆に恐怖心を引き起こさせ、戦闘不能の状態にして打ちのめした。
たとえば、カラスに変身したネヴァンは戦士たちの頭上を飛びかって狂乱をもたらし、同士討ちをさせる。彼女はまた、戦士たちに水辺で血まみれの武具を洗う幻影を見せる「浅瀬の洗い手」と
しても知られるが、その武具
の持ち主は、近いうちに余
を菩としてしまうのだ。
マッハも同じくオオカラ
スの姿となって戦場を飛
び、無気味な叫び声を上げて戦士た
ちの間にパニックを引きおこす。そのうえ、なんといってもこの女神は、戦死者の首を食べてしまうのである。
ちなみに、ケルト戦士たちには倒した敵の首を切り落とし、釘を刺して門に飾る風習があるのだが、これは「マッハの木の実の餌」と呼ばれ、彼女に捧げられたものだという。
ところで、この三位一体神の第1人格ともいえるモリガンもまた、カラスの姿で戦場に現れるなど、戦いや復讐の女神であることは間違いないが、意外な一面もある。ふだんは恐ろしい老婆の姿をしているのだが、ときに美女の姿をとって男たちを誘惑するのだ。
あるとき、美女に化けたモリガンは、英雄クー・プーリンに愛をささやいた。だが彼は、その告白を一蹴した。
「今は戦いのときだ。愛にうつつを抜かしている
時間はない」
プライドを傷つけられたモリガンは復讐を誓った。それ以来、彼女はウナギや海蛇、狼などに変身してクー・プーリンの手足にからみつき、彼の戦いの邪魔をしたのである。
だが、後にふとしたことでクー・プーリンに命を救われた彼女は、それをきっかけに、何かにつけて彼の世話をやくことになったのだ。クー・プーリンが恵絶えたとき、彼のそばにつきそっていたのは、カラスに身を変えたモリガンであったといわれる。
ちなみに、この3人の女神はそろってケルトの王ヌァザの妃となり、ともにフォモール族と戦ったが、ネヴァンとマッハは邪眼の巨人バロールによって殺されたという。
また、モリガンはアーサー王の物語に登場する王の異父姉で、彼に敵対する魔女モーガン・ル・フ工イと同一視されている。

003.アイルランドにもたらされた神の恩寵

ダーナ神族の4つの秘宝

北方よりアイル一フンドに侵攻する前に、ターナ神族はそれぞれフィンディアス、ムリアス、コリアス、ファリアスと呼ばれる4つの島を訪れていた。彼らはそれらの島で、それぞれひとつずつ秘宝を手に入れた。その4つとは以下のようなものである。

●ヌアサの剣
(クラウ・ソラス=光の剣)と呼ばれるこの剣はフィンディアスからもたらされ、ターナ神族の王ヌアザが携えていた。ひとたび鞘から抜けば、周囲の敵の目をくらまし、標的を定めれば、だれも逃れることはできないという必殺剣だ。
ただし、ヌアザがこの剣を使いこなしたという伝説はほとんど見当たらず、フォモール族との戦
いでも、ヌアザ自身、邪眼のバロールに敗北しているので、他の秘宝に比べると、いささか地味かもしれない。

●タグザの大釜
豊篤と死と再生の神であり、かつターナ神族の最高神でもあるタグザの持ち物である。ムリアスからもたらされたこの釜で煮炊きした食べ物は、決して減ることなく、無尽蔵に人々をうるおしてくれる。
ちなみに、ウェールズの神話にも魔法の大釜が登場するが、これはブリタニア王よりアイルランド王への貢ぎ物だったという。その力はタグザの大釜とは異なり、死んだ兵士をひと晩煮ると、生き返るというものだった。ただし、延った兵士は口をきくことはできなかったという。

●ルーの橋
本来の名称は(ブリユーナク=買くもの)で、コリアスよりもたらされた、勝利を約束する槍だが、ルーに与えられたために、こう呼ばれるようになった。
この槍は穂先が5本に分かれており、それぞれの切っ先から放たれた光は、一度に5人の敵を倒すことができるという。そのため「投げると稲妻となって、敵を死に至らしめる灼熱の槍」などともいわれている。さらに、まるで生きていて意思を持っているかのごとく振舞い、自動的に敵に向かって飛んでいくのである。

●王を決定する聖石
アイルランドを支配する王が正当であった場合、この(リア・ファル=運命の石)に触れると、大きな声で叫ぶという。ファリアスから持ち込まれたものである。
リア・ファルは代々の王が君臨した王宮のある丘に据えられた平たい石である。かつて百戦のコン王と呼ばれた優れた王が、たまたまこの運命の聖石を踏んだところ、石はこれから後のコン王の子孫で、アイルランドを支配することになる王の
数だけ叫んだという伝説もある。

002.実現したドルイドの予言

邪眼の巨人と光の神の闘い

ターナ神族の太陽と光の神であるルーは、フォモール族に敗れた一族に、最終的な勝利をもたらした英雄である。彼はターナ神族の医術の神ディアン・ケヒトの息子キアンを父とする。だが、母エスリンはフォモール族の魔神・邪眼のハロールの娘なのだ。つまり、ルーは母方の祖父を長とする一族と戦い、これに勝利したことになる。
邪眼のバロールは恐ろしい巨人である。なんといっても、片目(左目とも額の第3の目ともいわれる) でひとにらみするだけで、相手を殺すことができるのだから……。その邪眼はふだんは閉じられているが、戦場では4人がかりでまぶたを押し上げるのだとか。彼のこの力は、幼いころにドルイド(ケルトの聖職者)だった父と仲間の僧た
ちが毒を使った魔法を行使しているのを目撃し、そのときに煙が目に入って以来、身についたといわれる。
実はバロールは、ドルイドの予言によって、自分が孫のルーに殺されるであろうことを知っていた。それを防ぐために、彼は娘のエスリンを塔に閉じ込めた。だが、キアンが塔に忍び込んでふたりは結ばれ、ルーが生まれたのだ。
ターナ神族とフォモール族双方の血を引くというその複雑な出生から、ルーは父方でも母方でもない、フィル・ボルク族の王妃によって育てられた。彼はまた、太陽と光の神のみならず、知識や医術、魔術、発明などあらゆる技能に秀でた神であった。それだけではない。戦闘の場では投石機や槍を巧みに扱ったことでもよく知られていた。
そんなルーは、ターナ神族に圧政を加えていたバロールを許すことができなかった。
「祖父とはいえ、バロールは必ず自分が倒す」
と、心に誓っていたのだ。
ただひとりバロールに立ち向かったルーは、彼の邪眼が開いた瞬間、そこをめがけて投石機を用い、石を投げつけた。
邪眼は石に貫かれ、バロールの後頭部から飛び出した。そして、巨人の後ろに陣取っていたフォモール族の兵士たちをにらみつけたのである。哀れ、兵士たちは自分たちの王であったはずの魔神バロールの邪眼によって全滅させられてしまったのである。
こうしてターナ神族を最終的な勝利に導いたルーは、長く一族の王として君臨し、後にその座を長老タグザに譲った。
そして、一族がミレー族に敗れて地下世界に退くと、彼はタグザからロドルバンの妖精の丘を与えられるのだ。
なお、ルーは後述するケルト神話最大の英雄といえる、クー・フーリンの父でもある。

001.王位を奪われたダーナ神族

銀の腕のヌァザ

ヌァザは、アイルランドへと侵攻してきたターナ神族の王だった。敵を逃すことのない魔法の剣クラウ・ソラスを所持した彼は、まさしく戦いの神だった。
ターナ神族はアイルランドの先住民族であるフィル・ボルク族と激しい戦いをくり広げた。そして、王であるヌアザは彼らを勝利に導くのだが、その代償として片腕を失ってしまった。
五体満足でない者は王ではいられない…・これがケルトの文化圏における提であった。
こうして、そのめざましい働きにもかかわ
らず、ヌァザはアイルランドの王となることはできなかったのだ。
ヌァザに代わって王となったのは、ターナ神族の血を引くフォモール族のブレスだった。だが、彼には王としての資質が著しく欠けており、法を無視し、欲のみに走ったその政治のために、アイルランドは荒れはててしまったのである。
そのころ、ヌァザは鍛冶と医術の神であるディアン・ケヒトが作った銀製の義手を身につけ、力を取りもどした。以降、彼はヌァザ・アルガト・ラム、すなわち「銀の腕のヌァザ」と呼ばれるようになった。さらに彼は、ディアン・ケヒトの恵子ミアハの手術により、失った腕を完全に再生することに成功した。
ヌァザの体は元通りになったのだ。
こうなるとヌァザに怖いものはない。彼は直ちにブレスから王位を奪還した。だが、ブレスはこれを不服とし、フォモール族に助けを求めたのだ。
こうしてターナ神族とフォモール族との戦いが勃発した。しかし、この戦いはフォモール族の勝利に終わり、ヌァザはターナ神族の王位を光の神ルーに譲る。
その後、再度フォモール族に戦いを挑んだターナ神族は、なんとか勝利を得ることができた。しかし、続いて出現したミレー族に敗れてしまったのである。
そして、ヌァザ以下のターナ神族は地下世界へと追放きれ、細々と生きることになってしまったのだ。このときヌァザには当時、王だったターナ神族の長老タグザから、住まいとなる妖精の丘アルム・シーが与えられた。
ちなみに、ヌァザに銀の腕を与えたディアン・ケヒトは、父である自分より腕のいい恵子ミアハに嫉妬し、彼をずたずたに切り裂いて殺してしまったという。
それだけではない。兄ミアハを生き返らせようとした娘アミッドが、マントに薬草を載せているのを見て、それをひっくり返してしまった。そのため、アミッドはミアハを蘇生する薬を作ることができなくなってしまったのである。

011.北欧神話を代表する英雄

竜殺しのシグルズと運命の恋

北欧神話随一の人間の英雄シクルズ。その一生は決して幸福なものではなかった。
- シクルズはシグムンド王の恵子で、鍛冶の名手レギンが世話をしていた。あるときレギンは、シクルズに耳打ちした。
「悪竜ファウニ-ルを倒せば、名誉と莫大な財宝が得られますよ」 シグルズはレギンが鍛えた名剣グラムを持ち、彼とともに竜退治の旅に出た。
ファヴニールの棲み家に着くと、レギンは、
「留守のようですね。竜の通り道に穴を掘り、そ
こに隠れて帰りを待ちましょう」
と助言する。シクルズは剣を手に待ちぶせ、戻ってきた竜の心臓を下からひと突きにした。竜は断末魔の苦しみに毒を吐き、のた打ち回ったが、穴の中にいたシクルズは平気だった。
竜の死を確かめると、レギンはその力を手に入れようと目論み、シクルズに心臓を火にあぶるように頼む。彼はいわれるままに心臓を焼いたが、親指に火傷をして思わず指を口に入れた。そのとたん、彼は鳥たちの吉葉がわかるようになった。
指についた竜の血をなめたせいである。
「心臓を食べれば賢くなるのも知らずに、シクルズはだまされて火にあぶっているよ」「ファウニールはレギンの兄なんだよ。あいつは兄を殺させたうえにシクルズを裏切り、殺して財宝をひとりじめにする気だよ」 陰謀を知ったシグルズは、すぐさまレギンの首をはねた。それから竜の心臓を食べ、財宝も残らず手に入れた。こうして彼はいちやく「毒殺しのシクルズ」として、その名を高めたのだ。
シクルスは帰路、炎に囲まれた館で眠る娘ブリュンヒルドを救い出す。ふたりは恋に落ちた。
「私の妻はあなただけだ。必ず迎えにこよう」
固い約束を交わしたふたりだったが、シクルズはギューキ王の宮廷で王妃の陰謀にかかって、忘れ薬を飲まされ、恋人のことを忘れてしまう。そして王女クズルーンと結婚してしまったのだ。
その後、ブリユンヒルドを嫁にしようと目論む義兄クンナルに付き添い、シクルズは炎の館に向かう。炎が越えられないクンナルに代わり、彼は義兄に化けて館に入り求婚した。炎を越えた男と結婚すると決めていたブリユンヒルドは、この求婚を受けてしまう。
クンナルと結婚した後、ブリュンヒルドは真相を知った。そして、欺瞞のうえに成り立った結婚の報いとして、シクルズか、自分か、クンナルのいずれかが死なねばならないと夫に告げた。妻が死ぬことも自分が死ぬことも恐れたグンナルの指示で、シグルズは暗殺されてしまったのだ。

010.天地を揺るがす最終決戦

ラグナロク---神々の黄昏

迫りくる終末の予兆

北欧神話の大きな特徴は、神々が不死ではなく、その世界が壮絶な戦いの末にすべて滅んでしまうという終末予言にある。それは古くからラグナロク(神々の黄昏)と呼ばれた。
--神々は予言によって、いつか世界の終末がくることを知っていた。そしてそのときこそ巨人たちとの最終決戦の日だということも。
その日に備えて、オーディンは玉座から常に巨人たちの動向を見張り、アスガルドの入り口には番人ヘイムダルを常駐させていた。女戦士ワルキューレたちを戦場に放ち、戦死した勇者たちをたくさん集めさせ、ワルハラ宮殿で戦闘訓練をさせ
ていたのも、すべてラグナロクに備えるためだった。オーディンには、その日が近づいているように思えてならなかった。
(光り輝く恵子パルドルが死んだのは、世界にかげりがさす予兆だったのではなかろうか?) オーディンの予知は正しかった。世界はラグナロクに向かって、確かに動きはじめていたのだ。
地上からは美しいものや清らかなものが消え、人心は荒れ、悪と暴力がはびこった。兄弟は殺し合い、子が父と戦う……。
世界の終末を知らせるように日の光は徐々にかげり、身を切るような冷たい風が吹きすさび、雪はすさまじいほど降り積もった。厳しい冬が3年続き、すべての生き物は倒れ、死んでいく。

太陽と月は姿を消し、星も隠れて、世界は闇に覆われた。大地は揺れ動き、樹木は根こそぎ倒れ、山も崩れ落ちた。あらゆる命が巻き込まれ、あらゆる命が消える。
しかも、この世の悪を束縛していた鎖が飛び散り、封印が解かれた。魔狼フェンリルを拘束した魔法の鎖も、悪神ロキを縛った内臓の鎖もちぎれ、神々への復讐に燃えたふたりは地上に躍り出た。
沸き立つ海水の中から大蛇ヨルムンガンドが猛り狂って這い出してきた。
波が猛然と押し寄せ、川は溢れ、水が陸地を覆った。そんな大洪水の中、水底から幽霊船が浮かび上がる。乗り手は舵取りの巨人フリムのほかは死者たちだ。
フェンリルは下顎が地に、上顎が天に届くほど大きく□を開け、鼻から火を吹きながら、アスガルド目指して走ってきた。ヨルムンガンドも毒を吐きながら向かってくる。これまであまり接点のなかった、炎の世界ムスペルヘイムの巨人たちまで乗り込んできた。その先頭には、巨大な炎の剣を握った、灼熱の巨人スルトルが立っている。地獄の住人たちを残らず引き連れて、あのロキも駆けてくる。
さらに神々に恨みを抱く霜の巨人たちも、ここぞとばかりアスガルドに押し寄せた。

神々の壮絶な戦闘

この恐ろしい光景を見たアスガルドの見張り番ヘイムダルは、最終戦勃発の警告であるギャラルホルンの角笛を力の限り吹き鳴らした。それを合図に神々は戦闘準備を始め、オーディンはミ-ミルの泉に下り、買者の助言を仰いだ。
ヨルムンガンドに相対したのはトールだった。神々きっての強者と大蛇の血みどろの戦いは壮絶をきわめた。ついに勇者トールは自慢のハンマー・ミョルニールをふるって大蛇を倒す。しかし卜ールもまた、数歩下がるとばったりと倒れ伏した。大蛇の猛烈な毒に犯されたのだ。
その間、ヘイムダルはロキと相討ち
ついに戦闘の火ぶたは切って落とされ、神々とワルハラに居する戦士たちは、武器をとって戦場に向かう。先頭に立つのはオーディンだ。
グングニルの槍を構え、フェンリルに立ち向かう。だが激戦の末、オーディンは魔狼に飲まれて命を落としてしまう。それを見て、すぐさまオーディンの愛息ヴィザルがとびかかった。そしてフェンリルの顎を引き裂き、心臓に剣を突き立て、父の敵をとったのである。
になって、命を落としていた。ティールは死者たちの群れを相手に、孤軍奮闘していた。しかしこの勇敢な軍神も地獄の番犬ガルムと戦い、倒れた。
勇敢な女戦士ワルキューレたちは炎の巨人たちを相手に戦うが、全員が敗れ去った。
炎の巨人スルトルは、鹿の角で善戦するフレイをきらめく炎の剣で切り倒す。このときフレイに魔法の剣があれば、勝敗は変わっていたかもしれない。だが彼は、妻を手に入れるために、宝剣を手放していたのだ。
最後にスルトルは手にしていた炎の剣を投げつけた。剣から立ち上る灼熱の炎は世界樹ユグドラシルに燃え移り、やがて神の国は炎上した。炎に包まれた世界樹は倒れ、大地は海の底へ沈んでいった。こうして神々の世界は、予言どおり滅び去っていったのだ。
しかし、沈黙と暗黒の後には新たな日々が始まる。海底から青々とした新しい陸地が浮かび上が
ってきたのだ。その大地は種を蒔かずとも植物が育ち、収穫ができた。新しい太陽が生まれ、地上を温かい光で照らした。これまでの悪や罪はすべて消え去り、バルドルは復活し、光と美が世界に戻ってきた。
ほんの数人だったが、オーディンの息子やトールの恵子など生き残った神もいた。彼らは以前アスガルドがあった跡に集まり、神々の時代を懐かしんだ。一方、地上に炎が荒れ狂っていたときにも、ひと組の人間の男女、リブとリブトラシルは森の奥に隠れ、朝露をすすって命をつないでいた。
生きのびたこの夫婦は、その後たくさんの子を産み、やがて世界を満たすほどの子孫が生まれたという。
予言によると、いつの日か神々を超えた神、ひとりの超越的な存在が降臨してくるとされている。
しかし、それが何もので、どのような働きをする
のかは、謎に包まれたままである。

009.ティールはなぜ片腕になった?

魔狼フェンリルと魔法の鎖

「この狼の子は、ここで飼うことにしよう」
ロキと巨人の女との間に生まれた3人の子どもたちは、いずれも怪物だった。だが、長男の狼フェンリルは、オーディンのひとことでアスガルドで飼われることになった。普通の狼とさほど違いがないように見えたからだ。ほかのふたりはそうではなかった。海中に投げ込んだところ大蛇ヨルムンガンドとなった弟、地底深く投げ込んだところ冥界の女王ヘルとなった妹。
しかし狼は急速に巨大化し、貴から火まで噴くようになった。この凶暴な魔狼に餌をやる勇気があるのは軍神ティールだけだった。先々災いをもたらすとの予言もあったため、神々はフェンリルを拘束することにした。そして頑丈な鉄の鎖を作
ると、狼に力試しを持ちかけた。
「おまえならこんな鎖はすぐに切れるだろう」
「まあ、ためしに縛ってみるがいい」
フェンリルは体をひと振りしただけで、鎖をちぎった。そこで2倍の強さを持つ鎖で縛ったが、これも難なく引きちぎった。そこでオーディンは、ドワーフにグレイプニルという魔法の鎖を作らせた。材料は猫の足音、女の髭、岩の根、能…の腱、魚の息、鳥の唾液。鎖を作るのに使われたため、これらは以降、世界からなくなってしまったのである。
さて、神々は狼に魔法の鎖を示した。一見、絹紐にしか見えない代物だ。
「これは弱そうだが、かなり頑丈にできているのだよ。おまえに切れるかな? もし切れないような腰抜けなら、おまえは脅威でもなんでもない。
われわれの監視下から解放してやろう」
フェンリルは警戒した。どうも話が胡散臭い。
へたをすれば一生縛られたままだ。
「縛ってもいいが、約束を守るという保証に、だれかの腕をおれの口の中に入れてもらおう」 これを聞いて神々は尻込みした。だが、ティールのみが恐れることなく狼の口の中に右腕を差し込んだ。神々は素早く絹紐で狼を縛り上げる。フ
ェンリルは紐を切ろうと力を込めたが、どうしても切れない。なのに神々は解放してくれない。激怒した狼は、口中の腕を手首から噛みちぎった。そのようなわけで、ティールは片腕となったのだ。
フェンリルの捕縛に成功した神々は、絹紐を太い鎖に結び、その鎖を大きな岩に縛りつけ、岩を地中深く埋め、その上にさらに大きな岩を乗せた。それでもフェンリルは暴れ回ったので、上顎と下顎の間に剣を突き立てた。
こうしてフェンリルは、最終決戦の日までじっと縛られていたのである。