012.世界に火をもたらしたアグニ

あらゆるものを浄化する火の神

火の神アクニに対する 『リグ・ヴエーダ』 における賛歌は、全体の5分の1を占めている。
アクニは天にあっては太陽として輝き、空では稲妻として光り、地では儀式の禁火として燃えさかる。家の火、森の火、そして心中の怒りの火や、思想の火、霊感の火などもアクニだった。炉やかまどの神を神格化したとの説もあり、清浄と賢明の神でもあった。
さらにアクニは、神々と人間を結ぶ仲介者の役割も務めていた。生け贅などを燃やして煙とし、天上の神々に届けるのだ。神との仲介者ゆえ、結婚式や誓約式では神聖な証人ともなった。人間に火を与えたのもアクニとされている。
アクニは本来、ゾロアスター教を起源とする神だった。彼が燃やしたものは雷神や悪魔はもちろん、すべてが浄化され尊い存在になる。あらゆるものを飲み込み、灰にする彼の炎が絶対的な力とされたのは当然のことだろう。
だが一方で、彼の貪欲さは凄まじかった。何せ誕生直後に両親をむさぼり食ったというのだ。
それだけではない、その食い散らかした遺体を、自らの炎で焼きつくしたのである。
アクニは多くの場合、赤い体に炎でできた衣をまとった形で表される。そして炎の髪、黄金の顎と歯を持ち、3つの頭と7校の舌、3本の腕を持った姿で描かれる。好物は火を灯すための酢油。
酢油とは、牛乳から作られたバターに似た食用油だ。実は彼の7枚もある舌は、これを余さずなめとるためにあるのだ。
なお、彼には最強の軍神であるスカンタという息子がいるが、彼の誕生にあたっては『マハーバーラタ』にこんな話がある。
モアク二は7人の聖仙の妻たちに恋をしていた。そして、熱い思いでかまどの中から彼女たちを眺めていた。一方、ブラフマーの子のタクシャにはスヴァーハという娘がいた。彼女はアクニに恋をしていた。そこでスヴァーハは聖仙の妻の姿に化け、アクニを誘惑した。
何も知らないアクニは喜んで彼女を受け入れ、ふたりは一夜をともにした。こうして彼女は6人の妻に化け(7人目は失敗)、6回アグニと同裏したのである。その6夜の結果、得られた精液は、アシュベータ山の黄金の穴に落とされた。そして、この黄金の穴から6面12胃の神スカンタが生まれたという。スカンタは生後4日で敵を蹴散らしたため、インドラは最高指揮官の座をスカンタに譲ったといわれる。
なお、アクニは「ヴエーダ」時代には、インドラの次に崇められたほど高位の神ではあったが、現在は同じくあまり崇拝されていない。

011.かつては人気の軍神だった

超兵器を操ったインドラ

インドラは「ヴェータ」神話では最も人気が高く、とくに 『リグ・ヴェーダ』 の中では、全体の約4分の1が、彼への賛歌になっている。
インドラの起源は古く、紀元前14世紀のヒッタイト条文の中にも記述があることから、小アジアやメソポタミアでも信仰されていた神だったらしい。また、雷や稲妻を神格化した存在であるため、ギリシア神話のゼウスなどに相当すると思われる。
インドラの体は黄金色または茶褐色で、髪や髭は赤か黄金。稲妻を象徴する武器ヴァジュラ (金剛杵)を持って、2頭の天馬の引く戦車に乗り、空中を駆け抜ける。天馬ではなく、4本牙の巨大な自乗アイラヴァータに乗るとの伝承もある。さらに、彼が地上に降り立つと虹がかかるともいう。敵は人々を苦しめる凶暴なナーガ(蛇)族のヴリトーフだ。
インドラにまつわる神話を紹介しよう。
- インドラは、天空神ディアウスと大地の女神プリウィティーの子として生まれた。彼が誕生したとき、ヴリトラが雨を降らせず、川の水をせき止めていたため、人々は早魅に苦しんでいた。
生後間もない彼は人々の嘆きを聞くや、必殺の武器ヴアジュラを手にし、神酒ソーマをがぶ飲みして戦いに赴いた。
戦いの末、ヴリトラに勝利したインドラは、恵みの雨を受けた人々の尊崇を集めた。やがて父を倒し、自分の地位を不動のものとした彼は、それを契機に最高神となったのである。
なお、ヴリトラを倒したことにより、後にインドラはヴリトラハン (ワリトラを殺す者)という異名をも持つようになった。
ところがインドラは、時代を経るにしたがって人気を失い、その地位はシヴァにとってかわられていく。その人気の凋落ぶりは、『ラーマーヤナ』の中で悪魔に捕まる存在にまで姪められてしまったほどなのだ。
だが、一部の伝承の中では依然として、インドラは神々の王として崇められており、神の都アマーラヴァティーの楽園で、天女たちに囲まれて暮らしているという。この都は神々、人間なら聖者、英雄として死んだ者しか入れない場所とされる。
これも北欧神話における、ウルハラ宮殿を彷彿とさせるものである。
なお、叙事詩『マハーバーラタ』などに登場する英雄たちの超兵器のひとつが、「インドラの炎」や「インドラの矢」などと呼ばれるもの。これは太古のインドで、インドラが悪魔の王ラーヴァナの大軍を一撃で死滅させた武器である。
ちなみに仏教に取り込まれた後のインドラは、帝釈天と呼ばれ、東方を守る守護神となった。

010.鬼女はなぜ改心したのか?

ハリティーが鬼子母神になったわけ

日本でも「鬼子母神」として知られている女神が、ハリティーである。もとは「ヤクシニー」という鬼女の一種で、鬼神王パーンチカの妻であった。なお、ヤクシニーは「夜叉」の語源である「ヤクシャ」の女性形。
ハリティーの神話とは、次のようなものである。
iハリティーとパーンチカの問には、500人(1000人、1万人という説も) もの子どもがいた。彼女は、このたくさんの子どもを養うために、人間の子どもをさらってきては餌として与え、なおかつ自分も食べていた。
あるとき、ヴィシュヌのアヴァクーラであるブッダは、嘆き悲しむ母親たちの声を聞いた。
「鬼神の妻のハリティーが、自分の子どもを育てるためだといって、私たちの子どもをさらって食べてしまうのです」 ブツダはこの声を聞いて胸を痛め、ハリティーを懲らしめることにした。そして、彼女が最もかわいがっている末の子をさらい、隠してしまったのである。愛しいわが子が姿を消したと知って、ハリティーは半狂乱になった。
「私のかわいい赤ちゃん、どこへ消えたの?」
鬼女の身では、もちろんブツダが隠したわが子を見つけることなどできない。日夜、泣き叫び、やつれ果てたハリティーは、ついにブツダに助けを求めた。彼女の前に姿を現したブツダは、次のようにさとした。
「おまえは500人もの子どもを持っているが、たったひとりいなくなっただけで、こんなにつらい思いをするのだ。ましてや、おまえに比べればごくわずか、ひとりかふたりの子どもしか持たない人間たちが、その子どもを失えば、どんなに悲
しみ、苦しむか‥‥。その気持ちがわかったか?」 こうして、ハリティーは人間の痛みを知り、自らの所業を悔いた。ハリティーは三帰・五戒(三宝すなわち仏法僧に帰依し、5つの戒めを守ること)を受けて仏弟子となり、ブツダはやがて彼女を鬼女から女神へと引き上げた。こうして彼女は安産と育児の女神、鬼子母神として信奉されるようになったのである。
そして人間の子どもの代わりに、子どもを守る力があるとされている果実である吉祥果(ザクロ)を食べるようになったのだ。ザクロは中に種子がびっしりと詰まっているため、繁栄の象徴ともされている。また、よく 「ザクロは人肉の味がする」 などといわれるが、この俗説は以上の神話に由来しているとされる。ちなみに、この話は古代の飢饉時に、実際に人肉を食べた女性の話をもとにしているという説もある。

009.あの孫悟空のモデルになった

猿の戦士ハヌマーン

叙事詩『ラーマーヤナ』 の中で、ラーマの友として、最も活躍する猿の戦士が、ハヌマーンである。名前の意味は「顎骨を持つ者」、父は風神パワアナで、母は水の精霊アンジャナー。
以下は 『ラーマーヤナ』 におけるハヌマーンについての記述である。
「ハヌマーンの顔はルビーのように赤く輝き、尾は限りなく長く、吠える声は雷のようであり、天空を凄まじい音を立てて飛ぶ。力もとびきり強く、たくさんの樹木を根こそぎ取り払ったり、ヒマラヤの山を引き抜くこともできた。
ハヌマーンは、以前は天界の生き物だった。あるとき、太陽のまばゆい光に魅せられてしまった。
そこで、太陽を捕まえようと天空を駆けた。見慣れぬ生き物に追われることになった太陽神スーリヤは驚くほかなかった。次第に恐ろしさを覚えるようになったので、英雄インドラに助けを求めた。
その声を聞きつけたインドラは、ハヌマーンを見つけると大地にたたき落としてしまった」 ここではインドラにあっさり負けてしまうハヌマーンだが 『ラーマーヤナ』 では、無類の強さを発揮する存在として描かれている。俊敏で、姿や大きさを自在に変える能力を持ち、勇猛果敢に悪神アスラを倒していく。
『ラーマーヤナ』 では、こんな活躍もしている。
- 魔王lフーヴアナがある島にラーマの妻を隠していることを知ったハヌマーンは、さっそく赴こうとした。そのとき、一フーヴアナの妹で魔女のスーサラが現れ、ハヌマーンを飲み込もうとした。
大口をあけてハヌマーンに向かうスーサラに対し、彼は体を巨大化させて対抗する。スーサラの口は、さらに大きくなる。
次の瞬間、ハヌマーンは体を人間の親指ほどの大きさに縮めた。そして、猛スピードでスーサーフの口の中に飛び込むと、彼女の頭蓋骨の中を駆けめぐったのである。これではスーサラもたまらない。彼女は脳をずたずたにされて、絶命してしまった。
ちなみに、ハヌマーンはスーサラの右耳から脱出したという。
この後、ハヌマーンはラーマと協力して、その妻シーターを助け出すのである。
ハヌマーンに対する信仰は現在でも篤く、インドや中国、ネパールなどに広く棲息する尾長猿の一種、ハヌマーンランクールはこの神の蕃属と見なされ、ヒンドゥー教寺院において、手厚く保護されているという。
なお、彼の活躍が中国に伝わり、『西遊記』におけるヒーロー・孫悟空のモデルになったとする説もある。

008.知恵の神はなぜ象頭なのか?

消えたガネーシャの首

「神様の絵」は、インドの各地で人気を集めているが、その特徴を知らなければ、どれが何という神様なのか区別がつきにくい。
ただし、ガネーシャは別だ。何しろ頭が象なのだ。そして、片方の牙が折れている。
彼はまた、供物である果物を食べすぎたということで、太鼓腹の姿で表されることが多い。蛇の帯を締め、腕が4本あり。多くは鼠に乗っている。
もちろん彼にしても、生まれながらに象頭だったわけではない。それにはいくつかの奇想天外な神話があるが、一般的なのは次のものだ。
-シヴァの妻パールヴァティーは、夫の留守中、退屈まぎれに体の垢を集め、美しい人形を作った。その人形を気に入った彼女は命を吹き込み、息子とした。それがガネーシャだった。
あるとき、水浴をしようとしたパールヴァティ1が、ガネーシャに見張りを命じた。
「私が水浴をしている問、浴室にはだれも入れないようにしなさい」 と。そこにシヴァが帰宅した。ガネーシャは父の顔を知らないため、母の命令どおり彼を追い返そうとした。シヴァももちろんカネーシャが自分の息子(?) であることを知らないため、ふたりは浴室に入れろ入れないの押し問答になった。ついに激怒したシヴァは息子の首をはね、遠くへ投げ捨てたのだ。
嘆き悲しむ妻の姿を見て、シヴァは捨てたガネーシャの頭を捜しに旅に出た。だが、どうしても見つけることができなかった。そこで、しかたなく最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの体に取りつけて、復活させたのだ。
また、ガネーシャの牙が1本折れていることに関しても面白い神話がある。
- あるとき、ガネーシャが酔って夜道で転倒した。その姿を月に嘲笑されたため、怒った彼が牙を1本折って月に投げつけた。傷ついた月は、それ以来、満ち欠けするようになったのである。
カネーシャの名は、カナ(群衆)とイーシャ(王)を合わせた意味をもち、インドでは知恵と学問、商業の神として信仰されている。
人々は何かを新しく始めるときは、その前に必ずガネーシャに祈りを捧げる。ほかの神を信仰していても、最初にこの名を唱えることすらある。
ただし、これはガネーシャが嫉妬深いため、信者たちはそれを恐れて…‥・という説もあるが。
ガネーシャは仏教に入ってからは「聖天」や「歓喜天」という名になり、現世利益を与える存在となった。

007.シヴァの暗黒妻カーリー

夫の腹を踏む血と殺我の女神

力ーリーの名は「時間」と「黒」を意味する言葉カーラの女性形だ。悪神アスラたちの跋扈に怒って出現した女神だという。彼女はシヴァの妻のひとりだが、肌が黒く、痩身が特徴だ。
その姿は凄まじい。4本の腕を持つ上半身は常に裸で、髪を振り乱し、目を血走らせ、牙のある口を開けて舌を出し、生首を手に下げ、首にはドクロの環飾り。腰は切り取った手足で覆われている。この姿のとおり、カーリーは好戦的で血を好み、破壊や殺教を喜ぶ存在だ。
以下は、力ーリーにまつわる神話である。
- 悪神アスラと戦うために生まれたカーリーだが、彼女がいくら殺してもアスラの数は減らない。というのも、アスラは自らの流血から分身を作ることができるのだ。それを知った彼女は、敵が流す血はもちろん、その体内に残った血をも吸いつくして、戦いに決着をつけたのである。
ところが、勝利に酔ったカーリーが踊りはじめると、そのあまりの激しさに大地が粉々に砕けそうになった。これでは人間たちが危ないと感じた夫のシヴァは、カ-リーの足元に横たわった。
そして、自らの体を彼女に踏ませることで、大地への衝撃を弱めたのだった。現在でも、カ-リーがしばしばシヴァの腹の上で踊る姿で表されるのは、この出来事に由来している。
なお、シヴァの妻の中でも昼の顔がパールヴァティー、夜の顔がカーリーとされている。そして、シヴァも前者といるときは穏やかだが、後者といるときは世にも恐ろしい魔神のようになるのだ。
だが、そんなカーリーは、実はシヴァにとって重要なエネルギー源だった。彼女と交わることで、シヴァはそれを手に入れることができるのである。
そのためカーリーは、シャクティー(性力)とも呼ばれている。
ヒンドゥー教の神々の中で最も恐ろしく、かつ醜悪にもかかわらず、なぜかカ-リーは人気がある。とくにべンガル地方において、最も霊験のある神として崇拝されているのだ。
そして彼女を祀った寺院では、今なお祭儀のたびに、生け塾にされた動物たちの血が流されている。
ところで生け執員といえば、実はカーリー信仰の影には恐ろしい事実が隠されている。かつてタッグと呼ばれる暗殺集団がいた。彼らは500年以上にわたって、実に何百万人もの人々を殺した。そして、その死体をすべてカ-リーに捧げていたというのだ。タッグはイギリス統治時代に全滅させられたといわれるが、末裔が残っている可能性はゼロではないのだ。