「ギリシャ神話」タグアーカイブ

012.天駆ける馬に乗り慢心した男

天馬ペガサスとべレロフォン

ペガサスは翼を持った天馬で、ベルセウスがメドゥーサを退治した際、首の切り口から滴った血より生まれた。風よりも速く空を駆けるこの馬を捕らえることは、人間の手ではむずかしかった。
当時、コリントスの街に、王の血を引くとも海神ポセイドンの恵子ともいわれる、ベレロフォンという青年がいた。
何とかしてペガサスを手に入れたいと熱望した彼は、予二二口者の指示に従い、女神アテナの神殿でひと晩を過ごす。すると夢にアテナが現れ、彼に黄金の事楓を手渡してこう告げたのだ。
「ペイレネの泉にいるペガサスを、これで捕らえるがよい」
ベレロブォンは跳ね起きた。見ると女神の姿こそなかったが、手には手綱が握られている。
「ありがたい、私には神のこ加護があるのだ」
ペイレネの泉とは、ペガサスがそのひずめのひと蹴りで湧き出させたという美しい泉である。
ベレロブォンは勇躍して泉に向かった。すると泉で水を飲んでいたペガサスは、あたかも彼を待ち受けていたかのように、おとなしく黄金の手綱を取りつけさせたのである。こうして天馬は彼のものになった。今や彼は、天をも自在に駆けることができるのだ。
あるとき、リユキア国を訪ねたべレロブォンはイオパテス王に民を苦しめるキメイラ退治を頼まれる。キメイラは獅子の頭に山羊の胴、蛇の尾を持ち、ロから火を吐く怪物だった。これまでこの怪物を相手にして、生きて帰った者はいなかっただが、そんなキメイラも、ペガサスに乗るベレロブォンにとっては物の数ではない。見事退治して、彼は人々の喝宋を浴びた。その強さに驚いた王は自分の娘と結婚させ、彼に王位を譲る。
だが、数々の武勲を立て名声が高まるにつれ、ベレロブォンの心にうぬぼれや慢心が生じてきた。
(私はこの世に並ぶ者なき英雄で、神にも愛されている。ペガサスに乗って天に昇れば、神々の仲間入りができるのではないか?)
彼はペガサスに飛び乗ると、オリンボスを目指した。しかし、そんな不敬をゼウスが許すはずがない。大神は天に向かい空を駆けていたペガサスの鼻先に、1匹の虻を放った。虻に刺されて驚いた天馬は暴れ、ベレロブォンを振り落としてしまう。そして自分だけ天に昇ったペガサスは、ゼウスの軍馬となり、やがて星座となるのである。
一方、地上に落下したべレロブォンは足を折り、神々にも憎まれる身となり、各地を排個した。そして最後は、哀れにものたれ死にしたという。

011.見る者を石にしてしまう怪物

ベルセウスのメドゥーサ退治

「なんと、わしは孫に殺されるというのか!」
神託を受けたアルゴス王アクリシオスは怯え、孫ができる可能性を排除するため、娘ダナ工を青銅の塔に幽閉した。だが、かねてから美しいダナ工を狙っていたゼウスは、黄金の雨に姿を変えて塔に忍び込み、思いをとげる。こうして生まれた男児がベルセウスである。
恐怖にとらわれた王は、母子を船に乗せて海に流した。船はセリボス島に漂着し、ベルセウスはこの島で優れた青年に成長する。
島の王はタナ工に懸想し、邪魔なべルセウスを亡き者にしようと謀る。そして、貧しいベルセウスを祝宴に招き、祝いの品がないのを人々とともに嘲笑したのだ。
ベルセウスは宣言した。
「メドゥーサの首を取り、それを王に贈ろう!」
これこそ王の思うつぼだった。メドゥーサは、ゴルゴン3姉妹のひとりで蛇の髪を持ち、見る者を石にする力を持つ恐ろしい怪物。並の人間ではたちうちできない。しかし、ゼウスの子であるベルセウスは、神の祝福を受けていた。旅立つ彼にヘルメスは剣、アテナは青銅の楯と助言を贈った(ベルセウスはまず、ゴルゴンたちの妹にあたるクライアイ姉妹の家に向かった。そして、3人で目と歯をひとつずつしか持たないこの姉妹から、それらを盗んだのである。
「目と歯を返してほしければ、コルコンたちのすみかを教えろ」

3姉妹は脅迫に屈し、彼はコルコン3姉妹のすみかと、怪物退治のための必需品を持つニンフの居場所を知った。そしてニンフの協力で、空飛ぶ靴と姿の見えなくなるハデスの兜を手に入れる。
ベルセウスは空を飛び、怪物のすみかに到着した。彼はハデスの兜をかぶると、眠っているメドゥーサに近づき、剣を抜いた。そして、「メドゥーサの姿を楯に映し、それを見ながら討ちなさい」
というアテナの助言に従い、石になることもなく、彼女の首を切り落としたのである。物音に気づいたゴルゴン姉妹が目を覚ましたが、ベルセウスの要は見えない。彼は無事にその場を脱出した。
故郷に帰還したべルセウスは、自分を嘲笑した王とその取り巻きにメドゥーサの首を見せた。そのとたん、彼らは石と化し、ベルセウスはセリボスの英雄となったのだ。
後日、彼は生まれ故郷のアルゴスに向かい、その途中でたまたま行われていた競技会に出場した。
ところが、ベルセウスが投げた円盤は偶然、観客の老人に当たり、老人は死んでしまう。
実はこの老人こそアクリシオスであり、まさに神託どおりの結末となったのであった。

010.ギリシア神話最大の英雄

ヘラクレスの冒険と受難

燃え上がるヘラの嫉妬

ヘラクレスの数奇な運命は、その誕生から始まった。ティリンス王の妻アルクメネを見初めた大神ゼウスは、彼女の夫に姿を変えて思いをとげる。アルクメネは身ごもり、それを知ったゼウスは彼女を祝福した。
「今度生まれるベルセウスの子孫は、人々を支配することになろう」
ベルセウスとは、ゼウスがアルゴス王の娘との問にもうけた恵子で、メドゥーサ退治で知られた英雄である(44ページ参照)。だがこの妊娠を、嫉妬深いゼウスの妻の女神ヘラが知った。そして浮気な夫の鼻をあかすため、同じくべルセウスの血をひくエラリユステウスを1日早く誕生させた。そのため、ゼウスの祝福は彼にもたらされ、ヘラクレスの王となる道は閉ざされたのだ。そして、ヘラの嫉妬によるヘラクレスの受難は、その生涯にわたって続くことになるのである。
彼が生まれると、ヘラは揺りかごに2匹の蛇を放つ。だが、生後間もないこの赤子は、それらを素手で握りつぶした。
成長したヘラクレスはいくつかの武勲をたて、若くして英雄の名声を得ていた。クレオン王の娘と結婚し、3人の子どもにも恵まれた。だが、その幸せが許せないヘラは、彼に狂気を吹き込んだのである。そのあげく、ヘラクレスはわが子を殺してしまった。正気に戻ったヘラクレスは自らを責め、罪を償うための神託を得た。
「おまえは従兄弟の工ウリユステウスのもとに行き、彼に奉仕せよ」
ヘラクレスより1日早く生まれたことで王となっていた工ウリユステウスは、この神託を受け、12の難行をヘラクレスに命じるのである。

人間には達成不可能なほの難行

1番目はネメアの谷に棲む刃物を通さない皮をもつ獅子退治。ヘラクレスは棍棒で殴って獅子を悶絶させ、いとも簡単に絞め殺す。以後、彼はその獅子の皮をはいで頭からかぶり、鎧とした。
次はレルネの沼に棲む9頭の水蛇ヒユドラ退治その頭のひとつは不死で、残りは切っても再び生えてくる。彼は甥の協力を得て8つの首を切った後、即座にその切り口を焼いて新しい首が生えるのを防いだ。さらに不死の頭は地下に埋め、上に大岩を置いた。そして、その血に自分の矢を浸し毒矢を作ったのである。
3番目は黄金の角と青銅のひずめをもつケリユネイアの牝鹿の捕獲。彼は鹿を1年近く追い回した後に捕らえる。
4番目のエリユマントスの凶暴な野猪も、見事生け捕りにした。
5番目は3000頭の午を飼いながら、30年間も掃除していないアウゲイアス王の家畜小屋掃除。ヘラクレスは小屋にふたつの川の水を引き入れ、一挙に汚物を流した。6番目は怪鳥ステユンパデス退治。くちばしも爪も青銅でできたこの鳥を、女神アテナに贈られた音鋼の太鼓を叩いて驚かせ、飛び立ったところを毒矢で射殺した。
7番目にクレタの暴れ牛を生け捕り、8番目のディオメデスの人食い馬も捕らえた。9番目のアマゾンの女王の帯も手に入れたが、ヘラの策略で乱闘となり心ならずも女王を殺してしまう。10番目は3頭3身の怪物グリユオンが飼う牛の奪取。ヘラクレスは、この難行も達成した。
11番目はヘスペリデスの園から黄金のリンゴを盗み出すこと。ヘラクレスはまず、大鷲に内臓をついばまれるという責め苦を受けていたプロメテウスを解放して助言を得た。その助言どおりの場所で、ティタン神族のアトラスが天空を支えてい
た。アトラスはいった。
「人間のおまえは、ヘスペリデスの園に入ることはできまい。代わりにわしが取ってくるから、それまで天空を支えておいてくれ」
そしてアトラスは、天空をヘラクレスの肩に移し、ヘスペリデスの国からリンゴを持ち帰った。
だが彼は、再び天空を担ぐことに嫌気がさしており、このままヘラクレスに任せることを考えていた。そこで彼にこういった。
「リンゴはわしが代わりに届けてやろう」
それに乗るまいとヘラクレスは一計を案じた。
「わかりました。では、しつかり支えるにはどう持てばいいか、見本を見せてください」
承知したアトラスが天空をその肩に移したところで、ヘラクレスはリンゴを持って立ち去った。アトラスは自由になれる唯一の機会を、こうして逸したのである。

妻の疑心が招いた死

最後の難行は冥府の番犬ケルベロスを連れてくることだった。ケルベロスは頭が3つ、蛇でできたたてがみ、竜の尾を持つ怪物である。ヘラクレスは冥府の王ハデスの許可を得て、素手でこれを生け捕りにする。
こうして12の難行を達成し、へ一フクレスの英雄としての名声は、より上がった。ヘラの憎しみはさらに増し、彼の受難は続く。
あるときヘラクレスは、妻デイアネイラを伴って旅に出た。ケンタウロス族のネッソスは彼らに近づき、隙を見て妻を犯そうとする。ヘラクレスは彼を毒矢で射殺するが、瀕死のネッソスはデイアネイラにささやく。
「おまえの夫が別の女に心を移しそうなとき、私の血を使うとよい。愛が戻るぞ」
その後、ヘラクレスはある国を攻め、王女を捕虜として連れ帰ることにした一これを知った妻は夫の変が王女に移るのを恐れ、ネッソスの血を塗った服を夫のもとに送る。
何も知らないヘラクレスが服を身につけると、血に含まれていたヒユドラの毒が体に回り、彼の肉をただれさせた。その様子を陰から見ていたデイアネイラは、絶望のあまり自殺した。苦しみもだえるへ一フクレスは、部下に命じて薪を積ませ、その上に身を横たえ、炎に包まれて死ぬ。
ヘラクレスは、父ゼウスによって天に上げられる。ここでやっとヘラの憎しみもおさまり、ヘラクレスは彼女と和解する。そしてヘラの娘で青春の女神へベと結婚して、オリンボスの神々のひとりとなったという。

009.脱出不能の迷宮に棲む怪物

テセウスのミノタウロス退治

アテナイ王アイゲウスはトロイゼンを訪れたとき、王女アイトラを見初めた。そしてふたりの間に恵子テセウスが生まれる。帰国する際、アイゲウスは大岩の下に剣とサンダルを隠し、アイトラに告げた。
「息子が成長したら、それを持ってアテナイに来させよ。私は喜んでわが子として認めよう」
時が流れ、這しい若者に成長したテセウスは、怪力を発揮して約束の物を手に入れ、父の国を目指した。途中、山賊たちを退治し名を上げ、アテナイに入る。ところが、王妃である魔女メディアは王に先駆けてテセウスの正体を知り、わが子が王座に就くのに邪魔になるとして、彼の毒殺を謀る。だがそのとき、テセウスの腰にある剣にアイゲウスが目をとめて叫んだ。
「その剣は……! そなたは息子か?」
その拍子に毒杯は倒れ、企みが露見したメディアは行方をくらました。こうしてテセウスは、名実ともにアテナイの後継者となったのである。
当時、アテナイは問題を抱えていた。クレタ島の三三ノスに9年に一度、若い男女を貢ぎ物として差し出さねばならなかったのだ。彼らは迷宮に送り込まれ、牛の頭に人間の体をもつ怪物ミノタウロスの餌食となっていた。
テセウスは自ら志願して仲間に加わった。恵子の決心が揺るがないと知り、王は約束させた。
「死地に赴く船は、黒い帆を張りクレタ島に向かう。もし無事に帰還できたら、白い帆に変えよ」

クレタ島に着いた一行の中にりりしい青年の姿を見たミノス王の娘アリアドネは、一瞬にして心を奪われた。彼女は青年を助けたいと思い、迷宮を造った建築家から抜け出る手段を聞き出す。
「テセウス様、私を妻にしてくださるなら、迷宮からの脱出方法をお教えしましょう」
彼が求愛を受け入れると、王女は麻糸の束を渡し、これを迷宮の門に結びつけ、ほぐしながら進むように教えた。迷宮の奥でミノタウロスに遭遇したテセウスは、格闘のすえこれを退治する。糸をたぐって門に戻ってきた一行は、ミノス王の追っ手をかわし、アリアドネとともに船に乗り、アテナイに向けて帆を上げた。
途中、船がある島に立ち寄ったとき、ふたりは別れ別れになってしまう。彼女を置き去りにしたとする説と、嵐で船が戻れなかったとする説があるが、島に残されたアリアドネはその後、酒神ディオニュソスに救われ結婚する。
船はアテナイに近づいたが、テセウスは父との約束を忘れていた。遠くに黒い帆を見た王は絶望し、海に身を投げて死んでしまう。彼は悲しみのうちに父を埋葬し、その跡を継ぎアテナイ王となったのである。

008.くり返される骨肉の争い

呪われたアトレウス一族

神々を冒漬したタンタロス

長きにわたってオリンボスの神々に呪われつづけた家系、それがアトレウス一族である。その血で血で洗う凄惨な歴史は、タンタロスに始まる。
ゼウスとニンフの問の子、フリユギア王タンタロスは、よく捧げ物をしていたので、神々に好意を持たれていた。神でもないのにオリンボスの饗宴に招かれたばかりか、神の食べ物や飲み物を口にすることを許され、不死の休まで得ていた。
寵愛を受けて図にのったタンタロスは、オリンボスの食べ物を人間界に持ち込むなど、神々を軽んじはじめた。そして、ついに恐ろしいことを思いついたのである。
「そうだ、神々に人肉を食べさせてみよう。はたして獣の肉との区別がつくかどうか…?」
そして、日ごろから反抗的な恵子ベロプスを殺してその肉を煮込み、神々に供したのだ。
「うっ、なんだ、この肉は!」
さすがにゼウスをはじめとする神々は肉の正体に気づき、すぐ吐き出したが、娘をハデスに誘拐され自失状態にあったデメテルだけは、口にした肉を飲み込んでしまった。
その冒漬的な行為に激怒した神々は、タンタロスを冥府のさらに深奥部にあるタルタロスに落とした。そして、首まで水に浸ったタンタロスが沼の水を飲もうとすると水が引き、頭上の枝になる果物を取ろうとするとそれが遠ざかる、という罰を与えた。不死であるタンクロスは、永遠に渇きと飢えに苦しむことになったのだ。
なお、ベロブスを憐れに思った神々は彼を復活させ、デメテルは自分が飲み込んだ肩の肉の代わりに、象牙の肩を与えたのだった。

血に染まった鵬族の系譜

時が流れ、ベロブスはピサ王オイノマオスの娘ヒッポタメイアに求婚した。すると王は彼に戦車競走を持ちかけた。自分に勝てば王女との結婚を許すというのだ。戦いの神から贈られた馬のおかげで、王は戦車競走では不敗であった。そこでベロブスを愛する王女は御者のミュルティロスを抱き込み、父の戦車に細工をさせた。競走のさなかに戦車は転覆し、すべてを悟った王は呪いの言葉を吐いて、息絶えた。
「ミュルティロスは、ベロブスの手にかかって死ぬがよい」
この後、ミュルティロスは王女への邪恋をとげようとしてベロブスに殺される。それはまさしく王の呪いどおりの死に方だった。だが、ミュルティロスもまた、その死に際にべロブスとその子孫を呪誼し、彼の父であるヘルメスもベロブス一族に呪いをかけたのだ。
ベロブスはヒッポタメイアと結婚し王になり、アトレウスとテユエステスという双子をもうけた。

しかし、父が異母兄弟を溺愛するのを妬んだ双子はこれを殺害し、その罪でピサを追放される。
ミュケナイにやってきた双子は同国の王座を争い、その結果、兄アトレウスが勝利した。しかし、弟テユエステスが自分の妻と密通していたと知るや、アトレウスは弟の息子を殺し、その肉を料理してテユエステスに食べさせたのである。すべてを知った弟は、兄を呪いつつ逃亡した。仇を討つために、神託によりテユエステスは実の娘ベロピアを犯して恵子アイギストスを得た。だが、近親相姦の罪を嫌ったベロピアは、幼い息子を連れてミュケナイに逃れ、アトレウスの妻になる。アイギストスは王を実の父と信じて成長するのである。
時は流れ、アトレウスは他国にいるテユエステスを捕らえて連行し、アイギストスに命じた。
「この男をおまえの剣で斬れ!」
アイギストスは剣を構えたが、テユエステスが実父であることに気づき、剣の向きを変えアトレウスを突き刺した。こうして神託どおり仇は討たれ、テユエステスが王になりかわったのである。

終止符が打たれた血の連鎖

こうなるとおさまらないのは、王位を継ぐはずだったアトレウスの恵子アガメムノンだ。彼はテユエステスのもうひとりの息子タンタロスをその幼子とともに殺害。そしてタンタロスの妻だったスパルタ王女クリユタイムネストラと強引に結婚した。次にテユエステスとアイギストス父子を追放し、ミュケナイの王位を勝ちとるのである。
だが、アガメムノンとクリユタイムネストラの夫妻もまた現われていた。やがてトロイア戦争が勃発。ギリシア遠征軍の総大将となったアガメムノンは、出陣の際に順風を祈ってふたりの間にできた娘を生け資として神に捧げたのだ。娘を失った王妃は夫を憎んだ。
「あの男は実の娘を死なせて平然としている。そればかりか、私の最初の夫と幼い恵子もあの男に殺された……。いつか復讐してやる」
夫が出陣すると、彼女はアイギストスと密通した。そして戦いが終わってアガメムノンが凱旋したその日、王妃は夫に首回りと袖口を縫い合わせた下着を渡した。
「この下着は頭も腕も通らないぞー」
もがくアガメムノンをアイギストスが刺し殺した。しかしこのふたりもまた、アガメムノンの恵子オレステスによって殺されてしまうのである。
オレステスは事前にアポロンより母殺しの許可を得ていた。だが、他の神はこれを許さなかった。彼は母殺しの大罪を犯した者として女神に追いまわされ、錯乱状態に陥る。そして放浪の末にアテナイにたどりつき、裁判で無罪を勝ちとった。しかし狂気がもたらす彼の心の闇は晴れなかった。
そんな彼にアポロンが命じた。
「タウロスにあるアルテミスの聖像をアテナイに持ち帰れば、すべての神に許されるだろう」
タウロスを訪れたオレステスは、聖像を盗もうとして発見され、捕らえられた。そして神への生け染にされかけたところを、姉イブィゲネイアに救出された。オレステスは姉の助けを借りて聖像を盗み出して持ち帰り、ようやく苦しみから解放された。タンタロスに始まった神々の呪いは、ここに終止符が打たれたのだ。

 

007.オルフェウスの冥府下り

死せる妻を求めて・・・

竪琴の名手である詩人オルフェウスは、太陽神アポロンと詩の女神カリオペの恵子とも、トラキア王の息子ともいわれている。彼は樹木のニンフ、エラリユディケと恋をし、ふたりは結婚した。
しかし蜜月は長くは続かなかった。工ウリユディケが野原で毒蛇に噛まれ、命を落としたのだ。愛する妻を失ったオルフェウスは悲しみにくれた。
「エラリユディケにもう一度会いたい、この手に取り戻したい…。そうだ、死者の国へ行き、妻を連れ戻してこよう」
オルフェウスは意を決して冥府に向かった。途中、多くの障害が立ちふさがったが、すべて乗り越え、彼は冥府の王ハデスの前に立ったのである。そして、妻をどれほど愛しているかを、美しい堅琴の調べに乗せて切々と歌い上げたのだ。これにはハデスも心を動かされた。
「よかろう、ともに地上に戻るがよい。エラリユディケはおまえのあとからついていくが、妻がこの冥府を出るまでは、絶対に振り返ってはならぬ(もし振り返ろうものなら、おまえの妻はまたこの冥府に引き戻されてしまうからな」
オルフェウスは喜びで足が地に着かないほどだった。地上への道をたどりつつも、彼はひと目妻の顔を見たいという誘惑に何度もかられた。だが、必死に我慢して歩きっづけたのである。ところが-地上まであと一歩というときになって、ふとその胸に不安がよぎった。
(エウリユディケは、本当に後ろにいるのか?もしかしてハデス王にだまされているのではないだろうか…?)
不安のあまり、明るい地上に足を踏み入れると同時に、オルフェウスは振り返った。しかし、後から続く工ウリユディケは、まだ完全には冥府から抜けていなかったのだ。
「あなた、なぜ振り向いたの…‥?」
悲痛な叫びを残して、愛する妻は霧のように消え去った。彼は自らの軽率さを悔やんだが、すべては後の祭りだった。絶望のあまり、彼はその場に倒れ込んだ。
その後のオルフェウスは、永遠に失った妻を思って毎日、泣き暮らした。そんな彼をトラキアの多くの女性たちが誘惑しようとしたが、オルフェウスはもはや一一度と女性を愛そうとはしなかった。
失望した女性たちは彼に侮辱されたと激怒し、なんとその体を八つ裂きにして川に投げ込んだのである。オルフェウスの死体は海へと流れ、やがて首と竪琴はレスボス島に流れ着いたという。
それ以降、レスボス島は詩と音楽の聖地となった。そして竪琴は天に上がり、こと座となったという。

006.母神の怒りで荒れ果てる大地

ベルセフォネの誘拐

うららかなシシリア島の野原で、美しい娘ベルセフォネは侍女たちと花を摘んでいた。そのとき、急に大地がまっぶたつに割れ、割れ目から猛々しい黒馬が引く戦車が躍り出た。
戦車を操る男はすばやくベルセフォネを抱え入れると、戦車の向きを変え、割れ目の中に姿を消した。その直後、大地は元のようにぴったりと閉じたのだった。
ベルセフォネは、豊餞の女神デメテルと大神ゼウス姉弟の間に生まれた娘。男もまたデメテルの弟で、冥府の王ハデスだ。実はこの誘拐劇には裏があった。あるときベルセフォネの噂を聞いたハデスは、ゼウスに嫁にしたいと申し入れた。
「わしはかまわないが、母親が許すかどうか。溺愛して育ててきたからな」
「それなら、腕ずくで嫁にするまでよ」
自分と違い女性に緑のないハデスを哀れんでいたゼウスは、この暴挙を黙認したのである。
何も知らないデメテルは娘がいなくなったことを知ると、すぐに松明(たいまつ)に火をつけて娘を探しに出かけた。だが、彼女が9日9晩にわたって地上のすみずみまで探しまわっても見つからない。その悲痛な嘆きに同情したのが、太陽神ヘリオスだった。彼はただひとり真実を見聞きしていたのだ。
「実はハデス様に誘拐されたのです。娘さんを伴侶にしたいと望んだハデス様はゼウス様に申し入れた後、冥府に連れ去ったのです」
デメテルの怒りは尋常ではなかった。彼女は人間に命じて自らの神殿を遣らせ、そこに引きこもってしまった。豊鏡の女神がこの状態のため、木は実をつけず、穀物は芽をふかず、大地は荒れ果てていった。ゼウスはあせった。
「これでは、すべての生き物が死んでしまう」
ゼウスはハデスにベルセフォネを母親のところに返すように命じる。ハデスはしかたなくそれに応じたが、腹の中では策略をめぐらしていた。地上に帰る前に食べるよう、ベルセフォネにザクロを渡したのである。彼女はそれを4粒口にしてし
まった。実は冥府の食べ物を口にした者は、そこの住人とならねばならない決まりがあったのだ。これでもうベルセフォネは、母のもとに戻れない。困りはてたゼウスは苦肉の策を講じた。
「ベルセフォネは食べたザクロの実の数、つまり1年のうちの4か月だけ冥府にとどまり、残りは地上で暮らすことにしよう」
こうして地上は、ベルセフォネがいる間は豊かだが、冥府に下る4か月間は冬となるのである。

005.人々を巨大な災厄が襲った

洪水と人類の再生

旧約聖書の神ヤハウェは、他の神を敬うことを禁じ、その教えに背くとノアの方舟で有名な大洪水を起こして人類を滅ぼそうとした。ギリシアの神々も旧約聖書の神と同様、ときに人間を厳しく罰することがあった。その神のもたらした罰は、パンドラが箱を開けた後にもたらされた。
パンドラはエビメテウスとの間にビュラという娘をもうけたのだが、彼女は長じてプロメテウスの恵子のデウカリオンと結婚した。やがてふたりの間に子が生まれ、人間はその数を増やしていった。だが、それとともに人間は思いあがり、神を敬う心を忘れ、盗みや殺人などが横行するようになったのである。そんな悪行をゼウスが見過ごすはずがない。
「こんな愚かな人間どもは、洪水を起こして滅ぼしてしまおう」
そのころ、人間に火を与えた罪により、カウ力ソス山の山頂につながれていたプロメテウスは、大鷲に肝臓をついばまれる苦行に耐えながらも、ゼウスの災いを予知した。彼は息子を呼んで、次のような助言を与えたのだ。
「方舟を造るがよい。その方舟に生活に必要なものを積み、雨が降ったら乗り込むのだ」
デウカリオンは家に戻るとさっそく方舟を造り、妻とともにその中に逃れた。やがて天が抜けたかのような大雨が降り出し、川は氾濫し、大地は水中に没した。そしてその地にいた人間たちは、ひとり残さず滅んでしまったのである。
雨は9日9晩降りつづけ、その間、方舟は水の上を漂った。周囲を見渡しても、いくつかの高い山の山頂が、わずかに水面に顔を出しているだけ。
10日目の朝に雨がやみ、方舟はパルナッソス山の頂上に漂着した。生きのびたふたりはゼウスに生け贅を捧げ、命を助けられたことを感謝する。
「ゼウス様、われらの命をお救いくださってありがとうございます」
これを知ったゼウスは彼らを許した。
「殊勝な者たちじゃ。よかろう、何か望みがあれば叶えてやろう」
「では、われらに人間たちをお与えください」
「その望み、確かに聞きとどけた。デウカリオンよ、母の骨空屑ごしに投げるがよかろう」
デウカリオンは当惑した。
「母の酉とは……?」
「あなた、母とはきっとあなたの大祖母であるガイア様、すべてを生み出す大地のことよ」
ビュラの示唆にデウカリオンは考えた。
「だとすると、骨とは石のことだろうか?」
そこで彼は石を拾い、扇ごしに投げた。するとそれは人間の男になった。そして、ピユラの投げた石は女になった。
こうしてデウカリオンとビュラが祖となり、人類の再生がなしとげられた。これが今につながる人類の起源である

004.人はなぜ希望を持てるのか?

人類の誕生とパンドラの箱

人間に味方したプロメテウス
ティタン神族のプロメテウスは(先を見る者)という意味を持つその名のとおり、遠い未来まで見通すことのできる賢い神であった。ティタン袖族とオリンボスの神々が争ったときも戦いの先を読み、自族ではなくゼウス側についたので、その功を認められ、オリンボスで暮らしていた。
あるときプロメテウスは、やはりゼウスに許された弟のエビメテウスと語らい、人間を作ることにした。プロメテウスは土をこね人間の男を作った。それを見たエビメテウスは、 「兄上、われらはこれまでに多くの生き物を作ってきた。そして鳥には翼を、獣には毛皮を、貝には貝殻をと、必要なものを与えてやった。だが、人間にはくれてやるものがない」
確かに人間は体を包む温かい毛皮もなく、丸裸で寒さに震えている。
「なるほど、では人間には火をやるとしよう」
火は神々だけが抜える大事なものであった。だが、人間を哀れに思ったプロメテウスは、ゼウスの罰を覚悟で火を与えたのだ。おかげで人間は、寒さに苦しむこともなくなった。さらに農耕や道具作り、医術など、さまざまな生きるための知恵も授けたので、人間はみるみる力をつけた。これを知ったゼウスは腹を立てた。
「プロメテウスめ、わしの許しも得ずに人間を作ったばかりか、余計な知恵までつけおって」

しかし、与えてしまったものは仕方がない。
そこでゼウスは人間に奉仕させようと考えた。
「人間があのように豊かになったのなら、われらに生け贅を差し出させるべきだ。人間と会合をもって神の取り分を決めたい」
そして、ある町で神と人間との会合が行われた。
ゼウス側についたとはいえ、ティタン神族をタルタロスに落としたゼウスを内心恨んでいたプロメFテウスは、人間に味方する決心をした。生け贅の牡牛を切り分けるときに、細工をしたのだ。味のいい肉や内臓は皮に包んでまずそうに見せ、骨は脂で包んでうまそうに見せた。そして、ふたつ並べてゼウスに勧めたのである。
「どうぞ、先にどちらかお選びください」
「よし、わしはこちらにしよう」
ゼウスは一見おいしそうな、たっぶり脂のついた酉を選んだ。まさにプロメテウスの思うつぼだった。後から気づいたゼウスは激怒したが、一度選んだものは神であっても取り消せない。これ以降、人間が動物を生け染にするときは、神々には骨と脂肪を焼いた匂いを捧げ、肉や内臓は人間がとる習慣ができたのだ。
だが、この出来事はゼウスに人間を罰するいい口実を与えてしまった。
「人間は、これから火を使ってはならぬ」
再び寒さに震える人間たちを見て、プロメテウスはこっそり火を盗み出すと、再び人間に与えた。

夜、オリンボスから下界を眺めていたゼウスは、暗い地上にチラチラ輝く赤い火を見つけ激怒した
「プロメテウスめ、これ以上は許さん!」
そして彼を捕らえ、決して切れない鎖でカウカソス山の山頂につないだのだ。
「プロメテウスよ、永遠に苦しむがいい!」
そして、ゼウスが放った大鷲はプロメテウスの腹を食いやぶり、内臓をついばんだ。しかも、その傷は夜の問に治るのだが、朝になるとまたも大賢がやってきて食いちらかすのである。責め苦は終わることなく、長い時を経て、勇者ヘラクレスにより助け出されるその日まで続くのであった。

厄災をもたらした美女パンドラ

ゼウスが罰したのはプロメテウスだけではなかった。その怒りは人間にも向いたのだ。彼は人間の住む地上に災厄をもたらすべく、土で美しい乙女を作らせ、パンドラと名づけた。人類初の女性の誕生である。
パンドラとは(すべてに恵まれた者)という意味である。彼女は神々から多くの贈り物をもらった。アフロディテからは男を引きつける美貌を、アテナからは美しいドレスを、アポロンからは音楽と治療の才能を……。
こうしてパンドラは、エビメテウスの元に送られた。彼は(後から考える者)という名のとおり、やや思慮が不足した男であった。そのため兄から、
「ゼウスからの贈り物は絶対に受けとるな」
という忠告を受けていたにもかかわらず、パンドラと出会い、ひと目で心を奪われてしまった。
「おお、なんと美しいのだ′ パンドラよ。どうぞ、私の妻になっておくれ」
「はい、エビメテウス様。おそばに仕えます」
こうしてふたりは結婚し、エビメテウスの住まいで新婚生活を始めた。あるときパンドラは、部屋に置かれている美しい箱に目をとめた。

「あなた、あれは何なのですか?」
「ああ、あれは兄からの預かりものだ。決して中を見てはいけないといわれているから、おまえも触ってはいけないよ」
だが、禁止されるとよけいに見たくなるものである。好奇心旺盛なバンドーフは我慢ができなくなり、夫が留守のときにこっそ
り箱を手に取った。
「ちょっと見るだけなら、かまわないわよね」
ところがふたを開けたとたん、病気や妬み、憎しみ、盗み::\ありとあらゆる災いが箱から飛び出してきた。プロメテウスが箱に
閉じ込めておいた悪しきものは、あっという間に世界中に広がってしまったのである。自らのしでかしたことに恐怖を覚えたパンドラは、急いでふたを閉めた。そのとき箱の中から声が聞こえた。
「お願いです。私を外に出してください」
「おまえはだれなの?」
「私は希望です」
考え深いプロメテウスは、もしものときのため に希望をも箱の中に入れておいたのだ。これ以降、 人間は多くの厄災にさらされることになるが、希望があるかぎり絶望せずに生きていけるのだった。

003.2代続いた親子の確執

ティタン神族とオリンポス神族の争い

天空の神であったウラノスを追放して主神となったクロノスは、まずタルタロスに幽閉されていた兄弟たち、すなわちティタンを解放した。

だがこのとき、同様に閉じ込められていたキュクロプスとヘカトンケイルは放置された。実はこのことが、オリンポス神族との争いの際に禍根を残すことになるのだ。

次に彼は、ウラノスが完成しきれなかった世界創造の事業を引きついだ。こうして彼のもとで、河川や運命、死、闘争、悲しみ、幸運、そして太陽や月が生まれた。世界は徐々に今日、われわれが見るようなものに近づいていったのである。しかし、やがて彼は自らが追放した父と同じような道をたどることになる。

あるとき、母親である大地の女神ガイアは、クロノスに向かい次のように予言した。

「おまえはいずれ自分の子どもに王位を奪われるでしょう」

ガイアはティタンと同様、自分の子どもであるキュクロプスやヘカトンケイルを、快く思っていなかったのだ。

クロノスはこの予言を信じた。そして、妻レアとの間に生まれた子どもを、次々と飲み込んでしまったのである。

この暴挙にレアは耐えきれず、最後の子どもとなるゼウスをクレタ島で生んだ。そして、クロノスには岩を産着でくるんだものを子どもと偽って渡し、飲み込ませたのだ。クレタ島で成長したゼウスは、後にクロノスを騙して薬を飲ませ、兄や姉たちを吐き出させた。ちなみにこのとき吐き出されたのは、ポセイドン、ハデス、デメテル、後に妻となるヘラ、ヘスティアといった神々である。さらに彼は、タルタロスからキュクロプスやヘカトンケイルを助け出した。そして、これらの怪物とゼウスたちは団結して、クロノスらと戦うことになった。このときキュクロプスは、ゼウスに雷と稲妻を与えたという。

ティタンたちと、オリンポス山を拠点としたゼウスらの闘いは10年も続いた。だが、この戦いの決着は、ゼウスに恩義を感じるヘカトンケイル族の活躍で終結した。ひとりが100本の腕を持つ3人のヘカトンケイルは、合わせて300本の腕でティタンたちに大きな岩を投げつけた。ゼウスに雷を投げつけられて目が見えなくなっていた彼らには、この岩攻撃は防ぎようがなかったのだ。

こうして制圧されたティタンたちは、タルタロスに閉じ込められ、ゼウスを頂点とするオリンポスの神々の時代が始まるのである。

なお、この戦いに功のあったヘカトンケイルはタルタロスの番人となり、ティタンたちの見張りにつくことになったという。