021.美の女神の悲しき恋

アネモネになった少年アドニス

「シリア王の娘ミュラは、実の女神より美しいそうだぞ」
人間たちの噂を聞いたアフロディテは激怒し、恵子エロスに命じて、ミュラが父を恋するように仕向けた。愛の矢を受けて父に邪恋を抱いたミュラは、闇にまぎれて一夜をともにする。
相手が娘だと気づいた父王は怒り、彼女を殺そうとした。城から逃げ出したミュラは荒野をさまよい、やがて1本の木と化す。月満ちてその木が裂け、生まれたのが男児のアドニスだった。
赤子を取りあげたアフロディテは、冥府の女王ベルセフォネの館を訪れた。
「この子をしばらく預かっていただきたいの。必ず迎えにくるから」

こうして赤子は冥府で養育されることとなった。
やがてアドニスは、輝くばかりに美しい少年に成長した。こうなるとべルセフォネは、アドニスを手放すのが惜しくなってきた。迎えにきたアフロディテは少年を返さないベルセフォネに困り果て、ゼウスに裁きをゆだねる。その結果、1年の3分の1ずつをそれぞれの女神のもとで過ごし、残りはアドニスの自由にさせることが決まった。
少年は自由になる期間もアフロディテと過ごすことを望んだ。こうして1年の3分の2を、ふたりはともに過ごすことになったのだ。アドニスと一緒に暮らすうちに、戯れの恋に慣れていたはずのアフロディテが本気になった。少年は狩りが好きで毎日、獲物を追って野山を駆け回っていたため、アフロディテは心配でたまらない。
「狩りは危険だからおやめなさい」
しかしアド一一スは聞き入れなかった。一方ベルセフォネは、少年が自分よりもアフロディテを選んだことが面白くなかった。そこでアフロディテの情人である戦いの神アレスに、こっそり告げ口をした。
「あなたという恋人がいるのに、彼女は人間の少年に夢中になっていますよ」
腹を立てたアレスは、狩りをしている少年の前に大きな猪を放った。アドニスは焦って槍を突き出したが、猪に致命傷を与えることができない。
逆に手負いとなった猪は彼めがけて突進し、鋭い牙でその体を突き刺したのである。アドニスは悲鳴を上げてその場に倒れた。
白鳥が引く二輪車に乗って空を飛んでいたアフロディテは、悲鳴を聞いて急いで駆けつけた。
しかし女神が目にしたのは、血に染まって死んでいる愛しい少年の姿であった。女神は少年の体を抱き、涙にくれた。アドニスの血がこぼれた大地には、やがて血のように真っ赤な花が咲いた。後にこの花は、アネモネと呼ばれるようになる。